平成30年12月8日(土)【1時間目】
澁谷 哲一 先生
(東京東信用金庫 会長)
教科:社会
「地域金融機関における産学連携支援について」
~ひがしんの産学官+金連携事例~
父の残した町工場を引き継ぎ、宇宙開発の夢を実現するテレビドラマ「下町ロケット」が大ヒットするその2年前。深海を舞台に、下町工場の技術を結集させた一大探査プロジェクトが成功を収めました。その画期的なプロジェクトを影で支えたのが、東京東信用金庫(通称ひがしん)。産学官と地域を支える金融機関の連携が、この前代未聞のプロジェクトの成否を決めたと澁谷先生は言います。どのようにしてこの産学官金の連携が「ひがしん」で可能だったのか。そしてこれからの信金のあり方は。これぞ江戸っ子、粋なお話を澁谷先生から伺うことができました。その一部をご紹介します。
人と人との繋がりを大切にするのが金融の基本
振り返れば、ほとんどの私の人生はバレーボールが占めています。9人制を学生時代から始め、インターハイや国体で優勝しました。1969年に東武信用金庫(現在の東京東信用金庫)に入庫後もバレーボール部に所属し全日本産業人バレーボール大会(9人制)で全国制覇をしました。
当時のトレーニングは「水を飲むな」とか「うさぎとび」など、今ならパワハラと言われても仕方ないような方法でした。自らの経験から、スポーツは科学的に筋道を立てればもっと伸びると考えています。一方、金融の仕事では人と人との関係を大切に考えてきました。地道な活動をご評価いただき、おかげさまで2018年の春の叙勲をいただきました。
人口減少が進む地域を変えた江戸っ子魂
ひがしんの本部は大相撲の両国国技館の隣にあり、本店は向島の料亭街の近くです。町工場が多く「モノづくりの墨田区」として、かつては職工さんや女工さんで町は賑わっていました。日本のモノづくりが海外に流出し、町工場が廃れて町の様相も大きく変わってしまいました。相撲人気にも陰りが見え、人口減少も始まり「滅びゆく墨田区」とまで言われたこともあります。
なんとかそれを食い止めたい、区の商工会が中心となった熱心な活動が「東京スカイツリー」の誘致成功に繋がりました。東京スカイツリーができてから、人の流れが大きく変わりました。さらには区民の寄付で新しい美術館を作りました。世界的な女流建築家の妹島和世氏設計による、美術館「すみだ北斎美術館」の誕生です。町をあげての葛飾北斎のPRと東京スカイツリーが契機となり墨田区は「国際観光都市すみだ」へ変貌しています。
産学官金連携による「江戸っ子1号」プロジェクト
2009年、葛飾区の杉野ゴム化学工業所の杉野行雄社長が「大阪の下町工場が『まいど1号』で宇宙なら、こちらは海だ」と東京東信金お花茶屋支店に相談を持ちかけたことがきっかけとなり、海底無人探査機「江戸っ子1号」の開発が始まりました。このプロジェクトは、ただ作ったことだけで終わらせるのでなく、地域の中小企業が自分たちの力でプロジェクトを進め、このプロジェクトに関わることによって「中小企業がどれだけ活性化できるか」という視点が重要でした。私たち「ひがしん」のネットワーク力を生かし、技術者集団である中小企業、東京海洋大学と芝浦工業大学、そして官の海洋研究開発機構の間をとりもつコーディネーターとして、中小企業がもつ技術力、ブランド力をどれだけ高めることができるかに腐心しました。貸付も行いましたが「金利をまけてくれ」とは一言も言われることはありませんでした。開発構想から4年後の2013年11月「江戸っ子1号」は房総沖の日本海溝約8000mへの投下・回収実験に成功。オール国産、低コストで行える江戸っ子1号の成果は大きな注目を集め、2016年に実用化にも成功しました。
信金であっても、地方創生や地域に貢献できることは多いと感じます。何かきっかけがあった時に、絵に描いた餅のままにせず、地域の人と共に「やるか、やらないか」。人・企業・地域を育てる「夢を夢で終わらせない信用金庫」をスローガンに、ワクワク・ドキドキする活動を大切にしていきたいと思っています。
江戸っ子1号をめぐる戦いのドラマを詳細に綴ったノンフィクション
山岡 淳一郎 著
『深海8000mに挑んだ町工場 無人探査機「江戸っ子1号」プロジェクト』
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PHOTO: Nobuhiro Kaji