平成30年9月8日(土)【2時間目】
情報「過剰」時代 —メディアとどうつきあうかー
スマホからの情報発信が当たり前になった現代。生活がより便利になる一方で、個人情報の漏洩、フェイクニュースなどの負の面も大きくクローズアップされています。この情報「過剰」時代に私たちはどう対峙すれば良いのか。日本で最初のメディア革命とも言うべき明治時代の新聞事情から現代ネットメディアまで、歴史的な観点を踏まえたメディアの今後を校條 諭(めんじょう さとし)先生にお話しいただきました。
新聞は元祖「ニューメディア」
明治の時代、若者が始めた「ニューメディア」は「新聞」でした。明治政府は、富国強兵のため国民の教化に役立つ新聞を保護しました。中でも思想的、道徳的に国民を啓蒙し、天下国家を論ずる目的で創刊された横浜毎日新聞などの「大新聞(おおしんぶん)」は、政府主導で全国へ普及していきました。一方で、大衆向けの小説を執筆していた仮名垣魯文らを中心に、庶民の暮らしやゴシップを題材にした新聞「小新聞(こしんぶん)」が全国に次々と誕生しました。この「小新聞」が現在の読売新聞や朝日新聞に発展していきます。福沢諭吉が明治15(1882)年に設立した時事新報は、報道と文化事業を両輪に他の新聞とは一線を画した独立採算型の経営を行っていました。
複数の新聞を閲覧できる「新聞縦覧所」は明治時代の社交場として、新聞読者・投書家・記者の三位一体の繋がりを後押ししていました。いわば当時の新聞メディアは、現代でいうところのソーシャルネットワーク(SNS)の機能も果たしていました。
マスメディア一強からメディア戦国時代へ
昭和34(1959)年の皇太子ご成婚と昭和39(1964)年の東京オリンピックを経て、テレビが飛躍的に一般家庭に普及し世帯メディアとして君臨、同時に新聞も大きく発行部数を伸ばし、今日の「マスメディア」が確立します。しかし、インターネットが普及するにつれ世帯メディアは後退、21世紀に入りスマホの急速な拡大に呼応して個人メディアが台頭しました。現在は、フェイスブックやツイッターなどのソーシャルメディア、Yahoo!ニュースをはじめとする独自配信の記事を持たないキュレーションメディアなど様々なメディアが誕生しています。なかでも、経済・ビジネスに特化し、福沢諭吉の時事新報を彷彿とさせるニューズピックスは、その独自のシステムにより新興ニュースメディアの中では出色の存在です。
「総表現社会」におけるローカルメディア
今後ソーシャルメディアは、社会をより「顔の見える大衆社会」へと変貌させていくことになります。断片的な情報が溢れかえる「総表現社会」の中で私たちは「情報の小島」を作る必要性が出てきました。伊藤洋一氏によれば「小島」とは「意味合いを判断し、自分が行っている活動の中で生かす」思考の輪のことです。
自分たちのメディアを持つことも重要になってきます。メディアリテラシーも、これからは「表現・発信・伝える力」が求められていくことでしょう。ローカルメディアでも従来、新聞やテレビなどのマスメディアに加え、今後、編集ノウハウと共にweb技術を重視する新しいローカルメディアが加わっていくかもしれません。「良き隣人」として地域住民の友情と信頼関係を築き、読者との対話性や世界と直接つながるグローカリズムなど、新しいローカルメディアが、地域の若者たちを巻き込みながら成長していくことでしょう。
PHOTO: Nobuhiro Kaji